【ケガ】左膝半月板損傷をした話

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高校生活

こんにちは、どんくさいめいりです。

めいりは小学生~高校生まではスポーツしていました。

小学生のときはソフトボール、中学生では卓球、高校生ではハンドボールをしました。

今回は高校時代ハンドボール部に所属していた時にやってしまった左膝半月板損傷したときの話をしたいと思います。

ケガした経緯や入院・手術、術後の話など覚えている限り書き出します。

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ケガした経緯

高校一年の2月、尾てい骨骨折から復帰して当時ハンドボール部の一員として、いつもどおりキャッチボールしていました。

右投げなので、投げるときに左足を踏み出してから投げます。

左足を踏み出して、体重を左にかける瞬間に膝がバキッと音がして立てなくなりました。

すぐに立とうとしましたが力が入らずなかなか自力で立てませんでした。

それから急いで顧問を通じて親に連絡が入りました。

顧問がお勧めする有名な整形外科クリニックに行ってMRIを取ると左膝の半月板が損傷していました。

お医者さん曰く、他の人に比べて半月板が大きいので損傷しやすいタイプではあったみたいです。

手術しないとよくなることは一生ないので、3月の春休みに入ったら手術することが決まりました。

手術するまでの間

入院・手術するまでの間はずっと膝カックンされたかのように力が入らないので、サポーター付けたうえで松葉杖使って生活していました。

やっと尾てい骨骨折が治って部活できるようになった矢先の大けがだったので「なんでまた私なん」と失望した覚えがあります。

手術までの間、もちろん生活にも支障出まくりです。

まず運動なんてできません。ですので体育も部活動も見学。

体育はともかく部活動の見学がきつかったです。

あと日常生活でも力が入らないだけでなく、たまに足にズキンと痛みが走ります。

また当時実家のトイレが和式だったのでしゃがまないといけないのですが、このしゃがむのがまーーー厳しい。

左足だけ曲げないように伸ばした状態で排泄していましたw

はたから見ると変な恰好ですが、まぁトイレの中なんで。

入院・手術

手術前日・当日

春休みに入ってから入院・手術しました。

入院期間は約1週間。

そのとき個室しか空きがなかったので個室で入院しました。

手術前日から入院しました。

下半身麻酔だったので、当日の朝は食べなかったような気がします(記憶があいまいです)。

いざ手術開始。

下半身麻酔打たれると足の先からだんだんと自分の意志で動かせなくなりました。

一応持ち上げようとしてみたのですが、全く動かず。

麻酔の力すげ~と感動していましたw

そして先生が「これはひどいな。ほとんど残せないわ」って言っていたのを聞きながら寝ましたw

下半身麻酔なので意識はあるんですよね~。

あんまり聞きたくなかったので、寝ましたw

寝ているうちに手術はあっという間に終了。

傷は左ひざに3か所。今でも2か所は傷口が他より白くなっているので分かります。

現在の左ひざ。うち3番の傷口はほぼ見えないが、1,2番は薄く手術の傷が白くなっているので見える。

だんだんと麻酔が切れて下半身も動かせるようになりました。

もちろん手術した左膝もちゃんと痛かったです。

ずっとではないですが、するどい痛みが頻繁に走ります。

手術日当日はずっと寝ていたので、床ずれ?で腰やお尻が痛かったです。

手術翌日~退院まで

手術日翌日からは問診・点滴・リハビリでした。

手術した翌日・翌々日くらいまでは車椅子で移動していました。

トイレ行くたびにナースコールするのが申し訳ないと思いつつ、黙って余計な行動するほうが迷惑だと思い、呼んでいましたw

朝はなんと7時起床。

起きてすぐに問診でした。

問診とは言っても大したことなかったですけどね。2,3分で終わりです。

特に食事制限もないので、入院食も普通の健康的なメニューでした。

リハビリは松葉杖の使い方や歩く練習をした程度です。1日1時間くらいです。

あとの空き時間は、春休みの宿題がたんまりと出ていたので宿題をやっていました汗

あと気分転換・リハビリもかねて病院内のコンビニまで行ってアイスも買って食べていましたw

定期的に来る看護学生との会話も楽しみました。

消灯時間が20時か21時でめちゃくちゃ早かったですw

個室なのをいいことにケータイ小説読み漁っていました。

強制的に規則正しい生活が送れましたw

退院後~高校卒業まで

手術うんぬんよりもこの時期が一番肉体的にも精神的にもしんどかったです。

まず肉体的には、手術したとはいえ鈍い痛みが走ることが多々ありました。

特に力が入るとき。ですので高校卒業するまでは家以外ずっとサポーターを使用していました。

またなぜかわかりませんが、梅雨の時期や爆弾低気圧が近くにあると痛む回数・痛みが増えます。

一番きつかったのは部活です。

手術して1年は何もできず棒に振りました。


徐々に復帰はしましたが、踏ん張りが大事なのに痛いのとまだ不安定なので踏ん張れません。

またハンドボールなので投げるだけでなく、ジャンプもします。

けが前より全然飛べないんです。

  • けがする前はできていたことができない
  • みんなはしんどい思いしながらも上手になっている
  • 後から入ってきた後輩にも抜かれる
  • でも自分は痛いし思うように動かない

厳しい現実を突き付けられてめちゃくちゃしんどかったです。

一度遠征が終わって着替えているときに、自分が試合に出ていないにも関わらず「疲れた」とこぼすと、同期にボソッと「なにもやってないくせに」と言われて何も言い返せなかったこともありました。

上記の出来事もあってからみんな怒られているのに、自分はその眼中にもないので他の部員の前で弱音をはくのは違うなと思って、部活の友達には一切弱音を吐けませんでした。

このときは精神的にかなりきつくてよく部活のマネージャーや部活の違う友達の前で泣くことも多々ありました。

寄り添ってくれてありがたかったです。

それでも最後まで辞めずにやれたのは、自分の中での意地なのか、顧問に言いに行くのが嫌だったのか、はたまた両方なのか分かりませんが精神的に強くなったのは事実ですね。

ケガしてよかったとは全く思いませんが、ケガしなかったら今ほどタフではなかったでしょうね。

高校卒業後~現在

高校卒業してからはスポーツもほとんどやっていないのもあって日常生活に支障はないです。

サポーターもしていません。

一応なにかスポーツをする機会があればサポーターしますが、恒常的にやらなければ特になくても問題ないです。

ただ、神社などの階段や坂を下るとき、距離が長いと膝がけいれんしたり、手術したところに鈍い痛みが走ることもあります。

観光地行くときには要注意です。

あとは相変わらず梅雨の時期や爆弾低気圧が近くになると、痛むことがあります。

膝の調子で天候の良しあしが分かるのもどうかと思いますが汗

今ではある一定以上の負荷をかけなければ手術前と変わらない生活ができています。

まとめ

今迄いろんなケガをしてきましたが、間違いなく一番大きいケガで、私の人生のターニングポイントの一つになった出来事でした。
関節をケガすると、ある程度動かせるようになるまでに時間かかります。

また「古傷が痛む」とはよく言ったもので、一生付き合っていかないといけないのもやっかいです。

本当は大学生になってもスポーツ続けたかったのですが、医者から「厳しい」と言われていたので、がっつりやるのは高校までにしようと決めていました。

半月板損傷したことでよくも悪くも強くなれました。

しんどい時期でも乗り越えられたのは、支えてくれた人がいたからだと思います。

本当に感謝してもしきれないです。

当たり前のようにできていることが当たり前ではないことを実感した苦い経験でした。

めいり

これまでのケガ

半月板損傷するまえにやってしまった尾てい骨骨折↓

なんと小学生の時点で肉離れも経験しました↓

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