【準備体操は大事】小学生のときに肉離れした経験

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日常

こんにちは、今日も日本シリーズTVで観戦しためいりです。今日も1点差でヤクルトの勝利。ヤクルト大手です。しびれる試合が続いていますね。

今回は私めいりが小学生のときに肉離れしたときの経験談を話したいと思います。

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肉離れしたときの状況

めいりの小学校では、小学校高学年になると放課後約1時間、スポーツ・合唱・吹奏楽のなにかしらのクラブ活動をしなくてはいけませんでした。

めいりはスポーツクラブを選んだので、ほぼ毎日活動していました。

春と秋は陸上競技をやるのですが、めいりは走高跳をやっていました。

小学6年生の春、放課後にクラスのなにかのイベントかなにかでスポーツクラブの参加が遅れたのです。

ですので早く合流するために、いつもみんなで入念にやっている準備体操をちゃんとせず、いきなり競技をやろうとしたときです。

小学生の走高跳ははさみとびなので、足をめっちゃ上げるのですが、振り上げた瞬間に右おしり部分を肉離れしました。

やった瞬間に痛みが走ってもう足を上げるおろか歩くのもいっぱいいっぱいだったことを覚えています。

治療

当時所属していた女子ソフトボールチームのコーチが良い接骨院があるよと紹介してくれたので、その接骨院に2日に1回のペースで通っていました。治療期間は3か月くらいでした。

電気流したり、吸い玉使ったり、マッサージしてもらったり…

治療中は痛いけど、治療重ねるたびに徐々によくなっている実感がありました。

あとその接骨院にあだち充の漫画が置いていたのでずっと読んでいました。しっかりハマっていましたw

ある意味肉離れしていなかったらあだち充の素晴らしい作品に出会えてなかったでしょうから、そういった意味ではラッキーだったなと思っていますw

治療中の日常生活の支障

スポーツクラブの走高跳は完全にできなくなりました。今まで余裕で飛べていた高さも飛べなくなったので走高跳は諦めました。

正直今まで飛べていた高ささえも飛べなくなった現実を受け入れるのには少し時間がかかりましたが、気持ちを切り替えてソフトボール投げに種目変えました。ソフトボールやっててよかったなとこのときは思っちゃいました。

ソフトボール競技にも支障出まくりでした。当時ピッチャーをしていたのですが、ピッチャーは足腰が大事なのにその足を負傷したので、全然力が入らないんですよ。力入ると痛いですし、そもそも踏ん張れないし。

全然良い球投げれなかったときは悔しかったです。だからこそいち早く治療終わらせようと思って痛い吸い玉や電気に耐えていました。

単純に治るまでの間は運動量も減ったのでかなり体力は落ちました。マラソン大会の記録、小学校6年生のときより5年生の時の方が圧倒的によかったです。めいりの体力の人生のピークは小5です。

治療終了後

治療が終わって痛みもほぼなくなってからはガンガンスポーツやっていました。小学生のときってなんで暇さえあれば校庭に出て走っていたんでしょうか?今では考えられませんw

ソフトボールのピッチングも足腰がしっかり使えて踏ん張れるようになったということもあって、コントロールが安定してきまし、バッティングも内野の頭だけでなく外野の頭も超えることが増えてソフトボールという競技をようやく楽しいと思えるようになりました。

ランナーとしても1番バッターの役割を果たすために、盗塁しまくっていました。セーフティバントも5割以上の確率で決めていました。あのときは足が速かったなぁ(遠い目)

でも後遺症もあります。

それはピンポイントで点で肉離れした場所を押されるとめちゃくちゃ痛いってことです。ですのでめいりが大好きなリラクゼーションやマッサージしてもらうときは事前に「右のおしりは指の点で押さずに手のひらの面で押してほしい」とお願いしています。

頼み忘れると、staffさんはよかれと思って指の点で押してくれるのですが、そのとき叫びそうになるくらい激痛が走ります。そしてその痛みが2時間くらい続きます(-_-;)

肉離れしないために

肉離れすると痛いし、治療に時間かかりますし、日常生活にも支障が出ますので肉離れはしないほうがいいです。

肉離れを防ぐためにも、運動前はしっかりと準備体操をしましょう!準備体操を侮ってはいけません。

たとえ遅刻して遅れて参加したとしても、時間がなくても準備体操の時間を短縮してはいけません。面倒でも準備体操するのにはケガを未然に防ぐという大事な目的があるんです。

めいりのように痛い目に合わないためにも運動前はちゃんと準備体操しましょう

伝えたかったことは以上です。

めいり

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